閉じ込められて・・・

25日の「地震だー!」に寄せられたseiさんのコメントを見て思い出した事がありました。

≪私ではなく彼が西日暮里を地下鉄移動途中、地震発生!
急停車で30分ほど閉じ込められ交通麻痺、地上にでてもタクシーはつかまらず目的地(水道橋)まで歩くしか手段はなくもちろん予定は台無し。
私も心配で携帯に連絡しましたがつながらず、お待ち下さいの携帯画面を見つめるしかありませんでした。≫

もう、20年近く前の話です。
とても寒い冬の日、婚約中だった私はお相手である彼(現・主人)とお仲人さんの所に挨拶に行く日でした。
千葉県在住の彼と埼玉県在住の私は新宿駅で待ち合わせをしました。
空は怪しい雲行きでしたがその日しか予定がつかず、傘を持った私は高崎線に乗り込みました。
電車は乗車後まもなくストップし、いつもの何倍も時間をかけて大宮駅に到着しました。
当時、大宮駅は高崎線と東北線と京浜東北線が東京都内とを結んでいましたが、どれも徐行運転をしていました。
私は乗換えずにそのまま高崎線に乗っていましたが、ひょんなことから大宮駅から乗り込んできた女性と話をはじめました。

私より7歳ほど若い彼女は看護学校に通うナースのたまごで、東北線沿線にある実家から都内のアパートへ戻る途中だったそうです。
「大家さんに内緒で猫を飼っているんです。早く帰らないとお腹を空かせて鳴き出すかも・・・。大家さんに見つかったらどうしよう!」
私も彼と待ち合わせ中だと告げると、二人はもう運命共同体になっていました。
名前も知らない彼女(タレントの松居直美さんに似ていたので密かに「直美ちゃん」と呼んでいた)と上野駅から山手線の外回りで新宿駅へ向かいました。
ところが電車はあと一駅と言う所で完全にストップしてしまいました。
降りた事も歩いた事も無い新大久保駅。
ええーい、歩くしかない!と私と「直美ちゃん」は線路に沿った道を歩き始めました。
途中何回か自宅に公衆電話から連絡をいれたものの、直接彼とは連絡が取れません。
きっと私の実家に連絡を入れているだろうと信じて雪道を歩き始めました。

どのくらいかかったことでしょう。ようやく見覚えのある新宿の街が見えてきました。
地下鉄に乗り換えるという「直美ちゃん」と伊勢丹付近で別れ、やっとの思いで待ち合わせ場所に着きました。
手足は寒さでかじかみ、不安でいっぱいだった私は彼の暖かい言葉を期待していました。
「どんなに待たされた事か。」
その一言は身も心もぼろぼろな私の頭をハンマーで殴るほどの威力がありました。
「え・・・、だって、電車が動かなくって、新大久保から歩いてきて・・・」
涙が溢れ、もう言葉になりませんでした。

あまり雪が降らない千葉県に住む彼は、埼玉県内の大雪の凄さがわからず、何度も私の実家に連絡をしても「雪で電車が遅れていますから。」と言われ、自分自信では事態が把握できずにいらだっていたそうです。
今のように携帯電話が普及していれば直接連絡が取れて、お互いに不安も減少したのでしょうが、あの当時は公衆電話でどこかにお互いに連絡を入れる事しか出来ませんでした。
私も不安でしたが確かな情報も掴めず、何時間も待っていた彼も不安だったのでしょう。
後で聞いた話ですが、この時私がこぼした涙を見て、はっと彼は我にかえったっそうです。
寒い中を、知らない街を一生懸命に歩いてきてくれたのに、なんて冷たい事を言ってしまったのだろう、と。

高野フルーツパーラーで一息ついてからだいぶ遅れてお仲人さんの所へ向かいました。
相手に直接連絡が取れたらいいなぁ、と思いつつ。

そして、先日の地震の時に感じた事。
災害の直後は携帯電話は使用できませんが、iモードを使って地図を見ながら隣駅まで歩く事ができる世の中になりました。
でも、電話連絡が出来ない時、携帯だけでは情報はあまり得られません。
いつだったか息子がラジオやテレビが付いた携帯電話の話をしてくれました。
そんなの必要ない、と言ったのですが、もしかしたらラジオ付き携帯は必要かも・・・とチラッと考えました。

今回の地震での教訓。
災害に備えて、家族(大事な人との間)でよく話し合う事。
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by livingmama | 2005-07-25 10:01 | 日記