湯気を見ると思い出す事

珈琲を飲もうと注ぎ口からお湯が細く出るケトルでお湯を沸かしました。
しばらくするとお湯がシュンシュン沸きたって、小さな注ぎ口から湯気が勢いよく出てきました。
大量の湯気、真っ白い湯気・・・
(*≧m≦) プッ、だめだ、また思い出しちゃった\(^∇^)/アハハハ・・・・

りっちの中学校では水曜日の午後に先生方が自分の得意分野の講座を開いてくれて生徒達は面白そうな講座に参加するのです。
りっちは数学の先生が開いた「和菓子講座」に参加しました。
その日は「黄身しぐれ」を作ったのですが、お湯を湯でこぼす時大量の湯気が出てきたそうです。
顔に大量の湯気をあびた、お湯を捨てる係りをしていたNちゃんが発した言葉は・・・
「きゃ~~、毛穴がひらくぅ~~」
普通はこうは言わないでしょ、普通はね。

湯気を見るたびNちゃんを思い出す私でした。
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by livingmama | 2005-02-28 23:35 | 日記

武蔵野うどん・・・かなぁ

c0022231_22484833.jpg武蔵野うどんってご存知ですか?
冷たい麺を熱い肉入りのつけじるにつけて食べるものですが、発祥の地が東京の西部で武蔵野と呼ばれる地域なのでそう名づけられたようです。
写真の店は『うどん久兵衛屋』という埼玉県を拠点としたうどんチェーン店なのですが形態は武蔵野うどんのようでした。
(武蔵野うどんとは銘打ってなかったようですが)

やっぱり讃岐のうどんとは別物ですがもちもち感は確かにありましたね。
つけじるは濃い目でしたが・・・
午後1時半という時間のせいか(おなかぺこぺこ)、中盛り(2玉強くらいかな)をぺろりと食べてしまいました。
いつもは普通盛りで充分なのですが。

う~ん、でもやっぱり本場の讃岐うどんが食べたい・・・
ちなみに『うどん久兵衛屋』はモスバーガー、ミスタードーナッツのフランチャイジーである『大和フーズ株式会社』だそうです。
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by livingmama | 2005-02-26 23:24 | お外の食事

Happy birthday!  2

我が家は2月生まれがひとつ屋根の下に3人います。
割合にしたら50%!
今日は2人目、パパさんのお誕生日です。
ベイクドチーズケーキを焼きましたが、関連会社の人と飲む約束をしていたそうでお味見は明日へ繰り越し。

お誕生日おめでとう!
織田信長より長生きしましたね。

明日はおじいちゃん(主人の父)のお誕生日です。
プレゼント選び、楽しみ~♪
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by livingmama | 2005-02-25 22:50 | 日記

足にご注意!

昼過ぎにママ友達のみゅちゃんからメールが来ました。
「段差に足を取られて右足首付近を捻挫しちゃったヨォー。」
う、痛そっ!心配になって電話をかけてみました。
「大丈夫?まだ痛い・・・」と私。
「夕べは痛くて寝れなかったけど、今日鍼灸院に行ったらだいぶ楽になったの。」
ほっ、それはそれは・・・
「でも、お向かいのKさんは仕事中に両足強打してものすごいケガしたみたい!」
えっ、何で二人とも足、やっちゃったの・・・
実はこの二人PTAの役員仲間で3月半ばの学年保護者会の準備を一緒にしてもらおうと思っていたのに。
足の怪我じゃ思うように動けないし、3人目にならぬよう私も気をつけよう!
・・・と思っていた矢先に・・・

「足が、痛いっ!!」
・・・私ではなく兄ちゃんであります。
硬い靴を履きつづけたり、硬い道を歩いて足の筋肉に負担がかかったようです。
最初は右足だけでしたが先ほど左足も痛くなってしまったとか。
彼は革靴はいて駅までダッシュで走って行くのがいけなかったんだ、と反省していましたよ。

私も含め、皆様気をつけましょうね!
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by livingmama | 2005-02-24 22:56 | 日記

りっちのこと (その2)

「ママ、立てない・・・」
夏休みまであと10日ほどという日、りっちが弱々しく訴えました。
ここ数日間熱がひかず学校を休んで家で寝ていた時の事でした。
「ふざけてるんじゃないわよ!」と私がりっちの腕を持って引き起こしました。
しかし腰に力が入らないのかフニャっと布団に倒れこんでしまいました。
「ふざけてなんかいないよ。おトイレに行きたいのに・・・」
確かにこの緊急事態にふざけてはいられないでしょう。では、なぜ立てないの?
翌日かかりつけの病院に連れて行きましたが、その時には足腰はおろか両手にも力が入らない状態でした。
りっちの様子を見た医師はすぐに総合病院に連絡、紹介状を書いてくれて一刻も早くそこへ行くように私に指示しました。
もしかしたら今日は帰れないかも・・・まっすぐ病院に行かずいったん家に戻って手荷物をまとめ再び車に乗りこんだらちょうど中学校から帰宅した兄ちゃんが同行してくれました。

総合病院に着くと兄ちゃんがりっちをおんぶし、私は時間外の受付けをしてくれる場所を探しました。
「おまえ、こんなに重かったか?」
全身の力が抜けた状態でおぶさっているのでいつもより重く感じたようです。
小児科での検査は長時間に及び、私と兄ちゃんはいてもたってもいられませんでした。
外が真っ暗になった頃りっちの入院が決定しました。
そして「お母さん、入院の手続きがあるのでこちらへ。」と別室へ呼ばれました。

「もしかしたらお嬢さんは当病院で今までに症例のない患者になるかもしれません。」
とある病名を告げられました。
私は初めて耳にする病名でしたが難病とされている病気だということでした。
この病気に効果があるとされている強い薬を投与するので保護者の同意が必要だといわれて書類にサインをしました。
病室に戻ると兄ちゃんが不安そうにりっちを眺めていました。
ベッドに寝かされたりっちは首も曲げる事が出来ず、動くのは口と目だけでした。
いったん兄ちゃんと家に戻り入院に必要なものをまとめ、再び病院に戻ったのが23時をまわった頃でした。
「ママ、おなかが空いた・・・」
食事はベッドが可動するので上半身を斜めに起こしてから私が食べ物を口まで運びました。
途中のコンビニで買ってきたおにぎりを寝たままほおばり、飲み物は首が回らないので曲がるストローから飲みました。
トイレは病室にポータブルトイレを置き、私と看護師さんの二人で彼女を抱き上げて便座に座らせました。
でも自分の力ではどこも動かす事が出来ません。
ずっとこの状態が続くのかしら・・・付き添いで泊まりこんだ私の頭の中をいろいろな考えがよぎり、熟睡できませんでした。

翌日の朝食後いったん家に戻り夕方再び病院に戻るとりっちの顔が昨日より明るくなっていました。
「ママ、右手が少し動いたよ。」
昨日の強い薬が効いたのね、と喜んでいたら担当医師に呼ばれました。
「先生、手が動くようになったそうです。」
先生は意外な事にそれに対して手放しで喜んでくれませんでした。
「動いたんですが・・・こんなに早く動くはず無いんです。あの病気であれば。」
先生の話では強い薬を5日間投与しそれからしばらく経ってからじゃないと効果が出てこないそうです。
それではなぜりっちの手が翌日に動いたのか?
「あの難病ではないかもしれません。言いにくい事ですが、もしかしたら精神的なものかと・・・」
あ、もしかしたら・・・私はりっちが小学校1年生の時に精神的負担から弱視や味覚傷害などになった話をしました。
「なるほど、そんな事があったのですね。わかりました。今日から薬の投与は中止します。」
難病の疑いが晴れてホッとしたのと同時に、今度は何がりっちを苦しめたのだろうと考えました。

『修学旅行の班決め、だれもりっちと組んでくれなかった』
『りっちの黄色い絵の具が絵の具箱に全部ぬりたくられていた。』
『学級会でみんなに色々言われた。ぶりっこだ、とも言われた。』
そうだった!動けなくなる2,3週間前からこんな事を言っていた・・・
ちょうど小学校で個人面談の時期だったので担任の先生にこの件を伝えました。
先生にもこの話はショックを与えてしまったようで、数日後学校から娘宛にクラス全員からのお見舞いの手紙が届きました。
りっちはたいして嬉しそうな顔をせず、それどころか数人の手紙を読んで小さな声で言いました。
「わざとらしい・・・」
意外に喜んでいたのが春に同じ病院に入院した男の子からの一文で「その病院の食事はおいしいです。」というのを読んで「うん、うん。おいしー!」

この手紙を貰った頃は個室から大部屋に移り、両手と腰が動かせるようになっていました。
車椅子でトイレに一人で行けるようにもなりました。
急速に回復したのは同室の子供たちと仲良くなった事、大部屋で一人だけカーテンを閉めてポータブルトイレを使うことが嫌だった事がりっちの身体を動かしたように思います。
毎日朝10時頃に行くと隣のベッドの中学2年生のお姉さんとおしゃべりしたり、絵を描いたりしていました。
こうして心がリラックスする事がりっちにとって一番の薬でした。
私が病院に行くたびにりっちの容態が良くなっていきました。

そして車椅子を使わずにトイレに行ける日がついにやってきました。
「ママ!立てるようになったよ!!」
動けるようになってりっちがやった事は野球の選手のバッティングの真似でした。(正確には西武ライオンズのカブレラ選手)
丁度、小児科で一番偉い先生が巡回に来た時で、普段笑わない先生が思わず噴き出してしまったそうです。
そして「そんなに動けるようになったようだから今週の土曜日に退院していいよ。」と担当の先生に言われました。
退院の日が夏休み1日目の日でした。
(いまだにりっちが悔しがっているのが絵を描く会で推奨をもらったのに、終業式に行われた表彰式に出られなかった事です)
9日間の入院生活でしたがりっちにとって忘れられない怒涛の9日間でした。

退院しておよそ40日間同級生に会わなかった事も幸いしたようで、心の傷が少し癒えた頃に新学期になりました。
嫌な事はイヤ!と少しだけ言えるようになりました。
仲間はずれになっている子に自分から声をかけて遊べるようになりました。

6年生の夏、りっちはちょっぴりお姉さんになりました。
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by livingmama | 2005-02-22 16:16 | りっち

パン屋さん~♪

c0022231_2345544.jpg久しぶりの画像です。
画像処理係のりっちが学年末試験だったのでここ最近は画像無しの寂しいブログでした。
試験も終わり親子で久しぶりのショッピング・・・と言っても駅のショッピングセンターのパン屋さんへ行ったのですが。
パン屋さんへ行く途中の雑貨屋さんで「焼きたてパン屋さん」を発見!
は~い、私の大好きなミニチュア玩具ですよー。
今回はいつもの「リーメント」製ではなく「メガハウス」という会社の製品です。
パンだけではなく、袋やチラシやパンの雑誌などの小物がニクイじゃありませんか。
なぁにが出るかお楽しみってうきうきとお会計を済ましていたら、うおぉ!本物のパン屋さんの閉店時間が迫っているぅー!!ダッシュ、そしてセーフ!

帰宅してからワクワクと箱を開けたら、我が家の家族の好物ばかり★
なんだか本物が食べたくなっちゃいました。
明日、閉店間際ではなくラインナップが揃っている時に買ってきましょ!
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by livingmama | 2005-02-20 23:25 | お買い物

携帯電話の使い方

もし「携帯電話の使い方を教えてください。」と聞かれたら何と答えますか?

「電話に決まっているじゃない!」・・・大前提です
「時計代わりに」・・・電池が切れたとき慌てました!(経験済み)
「写真を撮る」・・・電話にカメラ、誰が考えたの?まさかヒットするとは・・・
「メモ代わりに」・・・手帳とペンが無い時助かります
「やっぱメールでしょ」・・・相手が電話に出られないときに役立ちます
「ゲーム★」・・・電車内でやる人、多いですよ~
「GPS機能」・・・迷子になりやすいのですか?
「支払いの時」・・・お財布ケータイってやつですね
「美味しいお店を探す」・・・検索機能ですね
「辞書機能」・・・今回はこれがテーマです

テストで悪用する人がいるんですよ、辞書機能。
監視の先生が後ろを向いたときに調べる者。
大胆にも「先生、トイレに行きたいです!」とトイレで調べる者。
以上、子供達の噂話より。
その場しのぎをしても、いつか「つけ」はまわって来ますよ。

それにしても日々進化する携帯電話。
ついていけない・・・
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by livingmama | 2005-02-18 23:43 | 日記

りっちのこと

今日は私の娘「りっち」の話をします。

乳児期、幼児期、特に大病もせず順調に育ってくれました。
予防注射も一度も怖がったり泣いたりせず世に言う「楽な子」でした。
二番目の子供にありがちな「何でもひとりでできる」思想を持っていたのか、
洋服の脱ぎ着も、リボン結びも「兄ちゃん」とは雲泥の差でやってのけていました。
この「自分でやる!」の怖い物知らずがあだになって小さなケガの多い子供でしたが。

幼稚園の年長さんになる直前の春休みのこと。
都内の実家に子供ニ人を連れて泊りがけで遊びに行きました。
夕飯の買い物に出かける為母の自転車で出かけようとした私を見つけて、
「いっしょにいく!」とりっち。
子供用の座席が付いていないので危ないからだめだというと、
「へいきだもん。ぜったいいく!」と一歩も引きません。
私は渋々娘を後部座席に乗せて、絶対手を離しちゃ行けないよ!と言い聞かせ商店街へ出かけました。

買い物も済んだ帰り道、道路工事現場を横目に通りすぎようとした瞬間、
ドドドドドドド・・・・・・・・
突然工事が再開しました。
物凄い音に驚いたりっちはとっさに身を縮め、両足を動いている後輪のスポークの間に入れてしまいました。
そのことに気が付いたのは急に自転車の動きが鈍くなったからでした。
「いたいよー、いたいよー」
運動靴が脱げ後輪の内側に入りこんだ足を抜き、そこから5、600m先の実家まで娘を励ましながら必死に帰りました。
そのとき娘は一粒の涙も出さずに「痛い」を連発していました。

母が車で外科まで連れて行ってくれましたが、そこでも娘は涙を出さずに痛みに耐えていました。
検査の結果骨折は無かったものの、左足のくるぶしの内側の外傷が酷く、しばらくギブスをつけることになりました。
ギブスをつけ終わった瞬間、娘は私の顔を見るなり激しく泣き始めました。
ホッとしたからでしょうが、今までの痛みをずっとこらえていた事に母と私は驚きました。
その時のえぐれたような傷は今でも残っています。


以前、兄ちゃんの話をした時に「精神的に手がかかる子」と書きましたが、私が息子に手を焼いているかたわらで娘にとんでもない事が起きていました。
彼女が小学校一年生の夏休みを終えたばかりの九月のことでした。

「おにいちゃん、どうしてみどりいろなの?」
風呂上り、りっちが兄ちゃんを見て突然言いました。
みどり?お兄ちゃんは白いTシャツを着ていました。
「おまえ、なにふざけてんだよっ!」
あまりりっちがしつこく言うので兄ちゃんが怒り出しました。
「どうしたの」とかけつけた私を振り返って見た娘は真面目な顔で「ママもみどりだ!」
息子はふざけ半分に「うるさい奴にはこうしてやる!」と娘の顔の前でおならをしました。
自分でしておいて兄ちゃんは「くっせ~!」と顔をしかめていたのに対しりっちは澄ましています。
様子がおかしいと思った私はりっちの顔の前にありとあらゆる「臭う物」を持っていきましたが全く嫌な顔をしませんでした。

翌日、近くの総合病院へ連れて行って検査をした結果がこれです。
『神経性弱視』『味覚傷害』『嗅覚傷害』・・・三重苦です。
味覚と嗅覚は薬で何とか1ヶ月ほどで治りましたが、弱視は神経性なので精神的に落ち着けば見えてくるとのことでした。
「みどりいろ」は無くなったものの急激な視力ダウンに私は強いショックを受けました。
ただ医師の言葉を信じて眼鏡を作らず、さりげなく教室の一番前の席に座らせてもらったりして娘には以前と変わらずに接していました。

当時相変わらず手のかかる兄ちゃんでしたが、彼に関わっている間まだ小さな娘は一人でじっと我慢してきたのだと思うと申し訳無い気持ちでいっぱいになりました。
「お兄ちゃんと(カウンセリングの)病院に行ってくるけど・・・」と言うと、
「おともだちのうちでまってるね」「おうちでテレビゲームやってるね」と健気に寂しさを耐えて私に心配かけないようにしていた娘。
それがこのとき、一気に爆発してしまったのです。
「もっと、ママといっしょにいたい!」との思いが病気として出てしまったようでした。
その当時、主人は5年の単身赴任を終えたものの2時間以かけて千葉県から神奈川県まで通勤していました。
よって、朝早く夜遅い毎日ですから土日はぐったり、子供たちはパパには甘えたらいけないと思っていたようでした。
甘えたい年頃なのにパパは忙しい、ママはお兄ちゃんにとられている・・・彼女の心の奥深くにこんな気持ちがあったのかもしれません。

半年経っても相変わらず「こくばんのじがみえない。」と言っていた娘。
視力検査でも結果は0.3でした。
ここまでの経過を知らない眼科医は「眼鏡を作ったほうが良いのでは」と言いましたが私は総合病院の医師の言葉を信じて眼鏡を作りませんでした。
『ほおっておくしかないですね。時間はかかるかも知れませんが、「まだ見えないの?もう見えた?」などとお子さんに聞くとかえって「みえない!」というでしょうから。そ知らぬ顔で普通に接してください。』

「みえない」と言ってから半年以上立った春休み、娘を連れて電車に乗っていました。
途中駅で突然「あのかんじ、よめるよ。きた(北)とせん(千)だね。」
それは遠くの看板に書いてあった「北千住」の文字。
「へ~、漢字が読めるんだ。」と言って私ははっとしました。
視力0.4の私が眼鏡を掛けてやっと読めるほどの遠くの文字を目を細めることなく読んだ娘。
「見えてる!治ったんだ!」と言葉に出すと、「みえない!」と言いそうだったので澄まして『漢字が読めた事』としてほめてあげました。
本当はその場で抱きしめてあげたかったけれどここは我慢!
それから何回か行われた学校での視力検査は結果が「C」か「D」で眼科医で再検査のお手紙を貰ってきましたが私はすべて無視。
ようやく4年生の頃から「急に見えるようになった!」と言い出し、検査の結果は「A」でした。

この事をきっかけに娘とスキンシップをたくさん取ると同時に、「精神的に嫌だと言う事が表面に出ない分、兄ちゃんより厄介かもしれない」と思い始めました。


続く・・・
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by livingmama | 2005-02-16 09:57 | りっち

食文化・すき焼きの巻

初めて『すき焼き』を食べたのが中学2年生の時。
皆さん驚かれるかもしれないが私がそれまで食べていたのは『すき煮』
・・・と松阪牛のすき焼き屋さんの仲居さんに言われました。

「お客さん、どちらから?埼玉?ああ、関東ですね。」
松坂牛の有名店の仲居さんは口と同時に手もせわしく動かしながら言いました。
「関東のお客さんは割り下を煮立たせてから牛肉を入れるから『好き煮』なんですよ」

ああ、なるほど。ではここ松阪では?
鉄製の鍋を熱しそこへ牛肉を入れて砂糖を降り焼き付けてから味をつけて煮る!
肉の旨味が閉じ込められてとてもおいしい・・・
・・・はずでしたがその時の仲居さんの態度がいまだに忘れられません。
(あんたたちがいままで食べてきた物はすき焼きなんかじゃないよ)
にこりともせずに機械的に『すき焼き』を作る仲居さんにこう言われたような気がしました。

両親がせっかく本場の味を、と連れてきてくれたのに美味しいとあまり感じず店を出た私。
あの暑い夏の日の事を『すき焼き』と言う文字を見るたびに思い出します。


今、『すき焼き』と言えばおじいちゃんの得意料理と子供たちは言います。
主人の父が作るすき焼きを家族6人でつつく・・・美味しく楽しい時間です。
ただ、結婚後ちょっと驚いた事がありました。

お肉や野菜を食べ終わった後の残りのおつゆに角餅を入れて煮絡めて食べるのです。
初めて食べたときは驚きました。
どうりでみんな一緒にご飯を食べないわけだ、お餅の分胃袋のスペースを開けてあるのね。
でも味が濃い目のすき焼きにはやっぱり白いご飯がほしい、私です。
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by livingmama | 2005-02-15 23:51 | 食べ物

St.バレンタインデー

唐突ですが私は中学校入学から短大卒業まで女子校で育ったものですからこの時期のバレンタインデーの甘い思いでは一切無いのです。
小人数の友人がお気に入りの若い独身男性教師にあげたりしていましが・・・

会社に入ってからですね、デパートのチョコレート売り場をのぞきに行ったのは。
甘いものよりアルコール類を好む男性になぜチョコレートなんだ、こっちが貰いたいワイ!と文句を言いつつ新入社員だった私は課内の女性を代表して義理チョコを買いに行きました。
そのときです。1個300円などというオソロシイチョコレートに出会ったのは!

有楽町のデパートのチョコレート売り場に燦然と輝いていたのは『ゴディバ』
どんな味がするんだろう・・・怪しく売り場の前を何往復もした末に2個だけ買いました。
・・・あーーーあ、想像していた以上の衝撃!日本ではお目にかかれないふくよかなお味。
ベルギーという国のチョコレートが美味しい事をはじめて認識した瞬間でもありました。

さて、この時に羨ましい・・・と頭に思い描いたのはハンサムな男性でも、お金持ちのお嬢様でもありません。
その人物は卵形の頭の中に灰色の脳細胞を持つ天下の名探偵、エルキュール・ポアロ。
ベルギー生まれの彼はホットチョコレートを飲み、クリスマスには美味しそうなチョコレートを買い求め・・・チョコレートが美味しい国で生まれた彼が断然羨ましい!

でも私は海外のバレンタインデーのように男性からお花を貰いたいなぁ。
青筋立てて本命チョコを作り冷や汗たらして男性に渡すより、たった1本のチューリップにリボンをつけて頂く方が嬉しいけれどなぁ。

日本のバレンタインデーって「チョコレートを渡す日」になっていませんか?
皆さん、ちゃんと本家の『告白』はされていますか?
チョコレートを机や郵便受に突っ込むだけになっていませんか?
(息子二人を持つ友人が郵便受けを開けたらきれいにラッピングされたチョコレートが入っていたけれど、宛名も送り主の名前も無かったので怖いから捨ててしまったそうです)
字が下手だからなんて言わないで必ず思いを伝えるカードも添えましょうね。

さて、共学の高校に入学したのに自分のクラスには女子が4分の1しかいなくて絶対にチョコレートなんか貰えない・・・としょげて帰ってくる兄ちゃんのためにケーキでも焼こうかな。
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by livingmama | 2005-02-14 09:39 | 日記